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GPz750R
Kawasaki GPz750R 1984年、川崎重工業が販売開始したオートバイGPz900Rの北米仕様には Ninja(ニンジャ)のペットネームがつけられた。以後、川崎の大型バイ クの多くにこのニンジャというペットネームがつけられている。 同年GPz900Rのボア・ストロークをダウンしたGPz750R(748cc/77ps)が、 国内で750cc超の大排気量車の販売が自主規制されていた理由で、日本市 場向けとして販売された。 このナナハン(750cc)ニンジャが僕の愛車Nana子である。 ニンジャのナナハンはわずか三年しか生産されていないため、生産から すでに30年(2012年現在)近く経過しレア車に分類されるだろう。 僕のナナハンはカラーリングとエンジン番号から1985年のG2と思われる。 宮崎県高千穂町にて
2001年、走行距離約2万キロで購入した当時はまるでゴミのような状態 だった。 同年僕はそれまで乗っていた、Kawasaki ZX-9R(E1)を盗難にあっており、 次のバイクを探していた。なじみのショップで下取りとして入ってきたこ のナナハンは、長いこと雨ざらしにされ、ブレーキを引きずり、乗る度に 不具合が発生した。あまりにも調子が悪いので一時は購入を見合わせてさ えもいた。 ショップの社長に言わせると「三ヶ月で返ってくる予定だった」そうだ。 東名高速をカット飛ぶと、さびていたマフラーには穴が空いた。 Nanaという愛称をつけたのはニンジャのナナハンであるからだけではな く、この当初のご機嫌が斜めというのもかかっている、 ニンジャのナナハンご機嫌斜めなのである。 しかしこのご機嫌斜めであることが逆にその後このバイクを長寿へと導 いた言えなくもない。調子のいいばいくであるば気兼ねなく回転数を上げ スピードを出すことが可能である。しかし購入時すでに16年、しかも雨ざ らしの状態から徐々にレストアしていったバイクを乱暴に扱うと簡単に壊 れてしまうのは目に見えていた。 「回すな」 ショップの社長の訓辞である。 購入した年の夏、広島へのツーリングに端を発し、以後5年間僕の相棒 として日本中を旅するバイクとなった。 以後何回かのアクシデント、自宅前駐車場でエキパイメガヒット(笑)に よりマフラー交換(ヨシムラからモリワキ)、4号線オカマ事件(先方の対物 超過保険により総額100万円の修理)を乗り越え、総走行距離100,000kmを超 えた。 広島県仏通寺にて
2001年当時のNana子。 フロント回りはGPX750R(16インチ)、タンクには穴が空いていたためハン ダで補修した、傷を隠すためにステッカーが張ってある。 鹿児島にて
4号線で信号待ちのさい、レガシーに追突されフロント回りおよび、外 装はタンクを含め置き換えられた。 フロント回りがZX-10,オイルクーラーはGPz1100,GPX750Rのキャリパーを リアブレーキに流用などしている。 その後、自宅前駐車場でエキパイを車輪止めにメガヒットし、マフラー はモリワキの二本だしに変更された。 2009年9月にワンウェイ・クラッチが滑ってしまい一時的にショップに 買い取ってもらったが、翌2010年1月修理され買い戻した。 バイク*などの業者に買い取ってもらえばもっちょっと高額だったのだ ろうが、なじみのショップに買い取ってもらったがために修理され買い戻 すことが出来た。 なんとも縁の深いバイクである。 故障、不具合を繰り返し維持費には事欠かないが、部屋の壁に貼ってあ る写真を見ると、「あの時も、あの時も」一緒にいたバイクである、今後 も長く僕と一緒の一台なのだろう。
沖縄知念村にて 沖縄海中道路付近 北海道オロロン街道にて 北海道石狩にて 奄美大島にて
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